History
永井旅館の歴史

永井旅館のはじまり

▶ 一ノ瀬という地名の由来
今の「市ノ瀬(いちのせ)」は、かつて「一ノ瀬」と呼ばれていました。
その名の由来は、白山を開山した泰澄大師にさかのぼります。
大師が風嵐村の佐切源五郎の案内で登頂を目指し、一行が柳谷川を渡って白山開山の第一歩を踏み出したとき、
「これで一つの瀬を渡った」とつぶやいたと伝えられています。
この言葉が地名の由来となり、「一ノ瀬」そして現在の「市ノ瀬」へと受け継がれていきました。
▶ 水害前の一ノ瀬部落
当時の一ノ瀬には、白山温泉と一ノ瀬温泉という2つの小さな温泉集落がありました。
白山温泉は約300年ほど前から登山者の宿場として利用されていました。
一方、一ノ瀬温泉は昭和初期に開かれた新しい温泉地として、登山者や砂防工事の従事者でにぎわっていました。村には派出所や床屋まであり、まるで小さな町のように活気がありました。
しかし昭和9年7月11日、大洪水が一夜にしてこの集落を飲み込み、多くが失われることとなりました。

▶ 復興への道
大災害の中から、喜市郎は水害を免れた建物を現在の市ノ瀬に移築。
そこに「永井旅館」の看板を掲げ、一ノ瀬復興ののろしを上げました。
同年秋、34歳で結婚。やがて崩壊した道路の改修が進むと、資材を運びながら
現在も残る2階建ての永井旅館を新築し、登山者を迎え入れました。
同時に、白山砂防工事の再開にも尽力し、一ノ瀬基地建設の世話役として指揮を
とりました。そして水害からわずか1年後の昭和10年7月、一ノ瀬は完全に復興を遂げます。
同年11月14日、喜市郎に新しい家族も誕生しました。
▶ 白山への情熱
その後、喜市郎は白山強力組合の組合長を務め、後進の指導にも力を注ぎました。
戦時中は海軍として従軍しましたが、終戦後の昭和23年、長年の念願だった
”別当出合から登る新道(現・観光新道)”を開き、途中の急坂を「喜市郎坂」と名付けました。
さらに昭和37年、白山が国立公園に指定されると、今の別山市ノ瀬道(旧・別山登山道)の開削を発案。
県や強力組合と協力し、見事に県道として整備を実現しました。
白山に関しては、誰もが認めるほどの情熱を持つ人でした。
▶ 最後の登山
昭和48年7月、弱った体に鞭をうち、思い立ったように一人で白山登拝。
翌8月、心筋梗塞でこの世を去りました。享年72歳。
一ノ瀬に生まれ、市ノ瀬で生き抜いた喜市郎。
幾多の困難を乗り越え、白山の地に生涯を捧げました。
その志と情熱こそが、永井旅館、そして竹腰永井建設の礎となっています。
創始者・永井 喜市郎
永井旅館の創始者 ・永井 喜市郎は、白山の名ガイドであり、ボッカとしても有名でした。
昭和9年(1934年)の手取川大洪水では、家族とすべての財産を失いながらも、一ノ瀬登山口の復興に生涯をかけて尽力しました。

白山歩荷(ボッカ)
永井旅館では、創業当時から室堂への食材等を人力で運んでいました。その人たちは白山歩荷(ボッカ)と言われ夜明けと共に市ノ瀬を出発し、午後3時ごろ旅館に戻り次の日の荷物準備をして寝る、雨の日は休みという生活をしていたそうです。
一貫でいくらの給料体制だったので、平均で現在の60㎏、多い時で100㎏くらい歩荷したというから驚きです。その歩荷たちのすごさは写真からも分かりますが、どうやって荷作りしたのでしょうか。
毎日大変な人力仕事をこなす歩荷さんのためにとまかないの秋じょさんが、考案したのが「にんにく味噌」です。限られた食材の中でしたが、この味噌ダレのおかげで食事にバリエーションができ、歩荷さんの大きな力になったそうです。
にんにく味噌の味は今も永井旅館で継承されています。

白山ゆかりの人物
玉井 敬泉(たまい けいせん)
明治22年(1889年)-昭和35年(1960年)/画家
昭和20年代、画家・玉井 敬泉は、ボッカの背に負われて白山へ登っていました(写真左)。
年を重ねるごとに視力を失い、晩年にはほとんど光を感じられなくなりましたが、それでもなお敬泉は、白山を心から愛し、ボッカに背負われながら登り続け、白山の姿を描き続けました。
永井旅館の創始者・永井喜市郎とは親しい友人で、
旅館には敬泉が寄贈した掛け軸や天袋絵が今も残っています。
宿泊のたびに記名帳に白山への想いを絵に描き残したといわれています。
敬泉をしのぶレリーフは、黒ボコ岩の観光新道入口付近の岩にはめ込まれています。
その存在を知る人は多くありませんが、白山をこよなく愛した敬泉は、今もなおこの地で白山を見守り続けています。




子持ちカツラ
永井旅館の裏山の奥深くには、「子持ちカツラ」と呼ばれる日本屈指の巨木があります。道なき道を進まなければ ならず、雪の残る春先や落ち葉舞う晩秋にしか辿り着くことができません。
その分、目の前に現れる巨木との出会いは、きっと生涯忘れられない思い出となるでしょう。
「石川県巨樹の会」による『日本カツラ見立番付』では、堂々の横綱に選ばれています。




